毛利を巡れ?~広島市エリア編~
と、言いつつ、行く先々で70年前の爪痕をみかける…。
広島城
1592~1599年の間に完成。元就の孫でもあり、隆元の子である輝元が拠点を吉田郡山城から広島城に移動。関ケ原の後に福島正則が入ったが、洪水の被害で破損した城の修理の際に、申請に不備があったとして咎められ、没収。その後に浅野家が入り、明治維新を迎える。
お堀
石垣コレクション
たぶん毛利時代
天守台は毛利輝元が建てたもの。「たぶん」なのは天守台近辺の石垣だから。なんで天守台を撮らなかったんだろ?雨だからだ!
たぶん福島時代
北西の石垣はたぶん福島正則によるもの…?途中で石垣が途切れる。
福島時代の石垣に伐りだした跡がよく見られる。
浅野時代
二の丸のこの部分は浅野氏によるもの。これは確実。
被曝した石垣
原爆による火災で、長時間、高熱にさらされたために赤みと丸みを帯び、ひび割れた石垣。広島城は原爆が落とされて爆発する1945年8月6日8:14 くらいまでは現存する(旧)国宝天守だった。天守は崩壊し、一説では(旧)国宝を為していた木材は市民の燃料になったんだとか。二の丸・本丸の石垣は無事だったけど、なんでこの石垣だけこんなに被害を受けてるんだろ?
○の中に「天」と書かれているように見えるマーク@天守付近の石垣
土塁
本当は石垣があったらしいけど、福島時代に勝手に城を修理したために幕府に咎められ、石垣を取っ払ったらしい。奥の石垣はおそらく福島時代。
広島城はここからの眺めが好きかも。納得行くまでバシバシ撮ってました。雨が激しくて、レンズの水滴を拭くのが大変だったわい!
中は博物館になっている。面白かったのは刀が出来るまでの工程を展示してたこと。お好きな方はぜひお薦めする。
天守の礎石
復元するときに、残った礎石を移動して展示している。
広島電鉄横川駅
どうしても路面電車に乗りたくて、吉田郡山城からの帰りのバスで、横川駅に下車して乗りました!横川駅の路面電車のホームが外国っぽい。
原爆ドーム
広島に行ったら行かねばと思った場所。平日だったけど、校外学習で来た学生やら修学旅行の団体やら観光に来てる外国人やらで人が溢れていた。
投下目標は相生橋だったそう。
供養碑から。
資料館の一部は改装中だったが見学ができた。原爆が投下されたときの状況がわかる。
一日目に行く予定だったんだけど、大雨で断念して旅行の最終日に行きました。それが正解だった。恐怖が甦って寝られなかったかもしれない。
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