後北条の足跡を辿って…~始まりの地・荏原編~
駅に到着すると…
この早雲公のイラストがステキ!
駅前には小田原駅前にある早雲像とは違った雰囲気のある像がお出迎えしてくれます。
早雲の里荏原駅前の早雲像 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
法泉寺
法泉寺の秘密 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
少年時代、通い、勉強したり、遊んだりしたそう。おじいちゃんのイメージが強い早雲公にも幼い時代があったのです。
住職さんがたまたまいらっしゃり、興味深いお話しをうかがいながら案内までしていただきました。法泉寺は新九郎の父・伊勢盛定が創建。ただのお寺ではなく、高越城が落城したときに逃げ込む場所としての機能があるのだそうです。
写真の階段上がるときに「段の高さが違うので気をつけて」と言われました。階段の高さをまちまちにすることで、攻めてくる敵を転倒させようという意図があるらしいです。
また、写真の石垣はお城の石垣と同じように隙間なく積み、上がってこれないように工夫がされている。
法泉寺は興味深い伝説や史実がいっぱい #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
約600年経過している建物。新九郎少年がいた頃からあったとされている。
ちなみに写真上の赤い建物のお堂はお稲荷様が祀られている。早雲が伊豆修禅寺から摺袈裟をこの地に持ち込んだところ、老夫婦に変身した狐が取り返しに来たが、住職に見つかってしまい、伊豆に戻るにも戻れないので、この地にいさせてほしい願ったという伝説がある。
父子のお墓 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
早雲と父・定盛の墓。数ある早雲のお墓の中で一番古いものらしい。右が盛定、左が早雲のもの。早雲の墓石が足りないのは土砂崩れでどこかにいってしまったそうだ。
ちなみに右には代々の住職の墓、そしてさらに奥に行くと、木村重成の従兄弟の木村重宗の墓がある。大坂の陣でここまで逃れ、出家したそうだ。
ありがたいことに伊勢盛時(早雲)禁制と摺袈裟が入った箱を見させていただき、写真まで撮らせていただきました。
ちなみに、甲冑姿の早雲像があるのもこのお寺。傷みが酷いため、見せることができないとのことでした。
住職さんに「今立っているところに、少年の早雲も立っていたかもしれませんね」と言われて記念にパシャリ。新九郎少年の残像とか…写ってないか。
高越城
鎌倉時代末期に、蒙古襲来に備えるために幕府が宇都宮氏に命じて築城。
道に迷ったりもしたけど、法泉寺から高越城まで歩いたら1時間以上かかったから、子どもの足で通うのは大変だったんだろうなぁ。
高越城 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
高越城は早雲生誕の地と言われている。
↓一の郭跡。早雲生誕の地の石碑があるあたり。
高越城 一の郭 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
↓二の郭跡。
高越城 二の郭 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
↓三の郭跡。
高越城 三の郭 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
↓四の郭跡。
高越城 四の郭 #岡山の旅2016 posted by (C)青衣
五の郭もあったんだけど、撮り忘れてしまったようだ…。
その後の新九郎の動きは有名だけど、その後の高越城がどうなったのか。多分、伊勢氏の誰かがこの城の主になっていたはず。毛利氏の城になったそうだが、その経緯にすごく興味があるというか、すごく気になる。井原市史とか読めばわかるのかな。
↓行く前に読むと良いかも。高越城も法泉寺も登場するよ♪
↓その後の新九郎の動き
blue-ghost-girl.hatenablog.com
↓終焉の地その1
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↓終焉の地その2