滋賀の山城を求めて~佐和山城編~
正解は佐和山城でした!
石田三成屋敷跡
彦根駅から龍潭寺を目指して歩く途中で見つけた。今ではすっかり竹藪である。
佐和山城のへの登山口の前にガイドさんがいらっしゃいました。
「石田三成が好きで来たんですか?」
って尋ねられたけど、「いやー…」って感じで可愛くない回答をしてしまいました。嫌いではないよ、嫌いでは。ここで、資料をいただいていざ山登りへ!
入口は龍潭寺の入り口でもある。
石田三成像
入ってすぐ左手を向くと会える。
龍潭寺の門をくぐり、墓地を通り抜けて…
道はこんな感じ。
塩硝櫓跡
20分ぐらい歩くと遺構がちらほら。ここは塩硝蔵跡。塩櫓とか名前がいろいろあって混乱してるらしい。
このビニールシートをかぶせてあるあたりが何か発掘調査をしてそうですね、と思ったら…
地下室が発見されたそうですね!行った数日後(垂井に行った日)に知った。
西の丸跡
塩硝櫓のあるあたりも西の丸とも言われているけれど…
本丸跡
頂上に着いたー!!
ここにもガイドさんがいらっしゃって、
「佐和山に登ってくる人は石田三成が好きな人と、単に山城が好きな人と2つパターンがあるんだけど、あなたはどっち?」
って質問され、後者だって答えたら、山城好きにはぜひ見てもらいたいものがあるということで、あちこちご案内していただきました。
隅石垣
佐和山にわずかに残る石垣。石垣の隅の部分。
そういえば、こんなニュースもあったよね。
佐和山城にほとんど残ってないから、使い尽くしちゃったのかしらね?
千貫井
おおおお!!井戸じゃ井戸じゃ!
佐和山城にとって、この井戸は千貫にも値する貴重な水源だったことからこの名前がついた。
佐和山城は関ケ原の戦いで西軍から裏切った小早川秀秋らに攻めさせた。千貫井から彦根市街地が望めるが、市街地にポコッとある山に家康が陣を布き、その様子を見ていたとか。
散策しているとところどころに平坦な地があり、曲輪があったんじゃないかと。
この写真の真ん中より少し上に道のようになっているところがあるが、佐和山城は、龍潭寺から入っていくのではなく、逆方面から入っていくのが正式な登城ルートで、それがこの道だったのではないかとされている。ガイドさんでも、このルートで山頂に行ったことが無いそうです。崩れたりして、行けないんだろうな。
ちなみに山頂からばっちり彦根城が見える。佐和山城の石垣がほとんどあっちに行っちゃったんだろうな。
彦根城も行きたかったけど、連休中であることを考えると人がわっさわさしてそうだったので諦めました。一度行ったことあるから井伊や良いや。
龍潭寺
天平5年(734)に遠江国浜名湖北井伊谷郷で行基が開基。”井伊谷”でわかっちゃうよね、井伊家とゆかりのあるお寺。慶長5年(1600)に関ケ原の戦いでの功により、井伊直政が箕輪城主(高崎城なんじゃないかな)から佐和山城主となったのをきっかけにこの地に移した。
お庭が綺麗。「ふだらくの庭」。
襖絵も見事。一部を除き、写真撮影が可能。
滋賀の山城巡りはまだまだ続くよ!
小谷城編↓
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